藤本真澄
(写真は藤本真澄です。小林桂樹じゃありません。)
昨日書いた「昭和ひとけた社長対ふたけた社員」も
プロデューサーのひとりが藤本真澄(ふじもとさねずみ、真は本当は旧字体)です。
社長シリーズでは、東京映画の「おしゃべり社長」以外は藤本真澄がプロデュースです。
(そういう点も含め、おしゃべり社長は社長シリーズとはいえないかもしれません)
この藤本真澄という人は、1960年代の東宝の名プロデューサーです。
この時代の東宝映画を数作観ると必ず、この人の名前を目にするはずです。
そして、この時代実質的に東宝で一番偉かった人です。
「お姐ちゃんシリーズ」、「若大将シリーズ」、「クレージーキャッツシリーズ」、「社長シリーズ」
などはみんなこの人の手によります。
映画って監督が一番偉く、権限をもっているような気がしますが、
もっともそういう場合もあるのですが、一般的には違います。
- 映画会社(場所や資金)を持つ人…社長
- 映画を製品として企画、製作する人…プロデューサーなど
- 映画を作品として創り上げる人…原作者、監督など
以上のことが時にはからみ合っています。
この時代より昔の映画では、松竹の小津安二郎(監督が絶対権限)とか
大映では永田雅一(社長が絶対権限)とかであることも多くありました。
更には、主演役者が絶対権限とかあったようです。
東宝は日本で最初にアメリカ型のプロデューサーシステムを取り入れました。
お山の大将を廃し、マネージメント型にしたのです。
これは、当時の東宝が映画の製作を自前でできなくなったという事情もあるようです。
その頃、入社した藤本は当時の副社長、森岩雄のもとで製作に携わります。
しかし、戦後の東宝争議の際藤本は会社をとびだし、自分の会社をつくります。
そこで、日活や新東宝の映画を製作しますが、しばらくして落ち着いた東宝に復活します。
そこからが上記の時代、東宝黄金時代です。
岡本喜八や成瀬巳喜男などは藤本の下で育ったようなものです。
実力はあるが、かなり尊大な人物だったようです。
黒澤明とは仕事もしていますが衝突もあったようです。
当時「製作担当専務」で後にはもっと偉くなったようです。
(最高の肩書きが何かしらべたのですがわかりません、恐らく副社長)
1975年に田中角栄に関する映画の製作中止の責任で平の取締役に降格しています。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/063/1170/06304231170012c.html
これは古い参議院の議事録ですが、著作権法の改正の際に
藤本等が参考人として意見を聴かれた際のものです。
細かい字ですが、藤本のプロデューサー哲学の片鱗が見えます。
今でも、彼の名を冠した「藤本賞」というのがあって、
映画に貢献のあった人物に贈られています。
(Hatena::Diaryより転載)
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