靖国問題
今日は自分らしくないことを書きます、宗教です。
小泉総理になって以来、靖国神社の参拝がとかく問題視され、
最近では中国や韓国にとって、最もけしからんことのひとつのようです。
じゃあ、参拝さえしなければいいのか?
そうじゃなくて、それが最もわかりやすく攻撃しやすいことなのでしょう。
さて、今日書きたいのは日中や日韓のことよりも、
靖国神社、また他の神社(神道)、仏教に我々が何を感じているのかということです。
キリスト教の国、イスラムの国、仏教の国というのがあります。
ヒンズー教、その他いろいろあります、複数の宗教で複雑な国家もあります。
我々はなんでしょう?
初詣、お宮参り、節供、七五三、お盆、法要、葬式
お寺の事(仏式)と神道、中国から伝わったことがミックスされています。
一般的な日本人は宗教に対しまったく原理主義的でないのです。
そこで、神道です。
これは、日本独自で、アミニズムから発したともいわれます。
八百万の神。
物事を動かす目に見えない(理解できない)力には神が宿るのです。
山や大木、石にも神が宿ります。
狐も神様です。
そして、日本人が行った最高傑作は、外来の仏教とその神道を合体させて、
なおかつ、共存させたのです。
宗教同士は普通対立します。日本の仏教(鎌倉仏教)でも、
日蓮宗と浄土宗は対立します。
でも、神道が仏教はいかんとか、仏教が神道はいかんとかは基本的にないのです。
明治に入り「国家神道」になりました。
日本のイデオロギーが神道になったのです。天皇家も神道になりました。
江戸時代までは天皇家も仏式の葬式だったそうです。
靖国はその「国家神道」の神社です。
われわれは何をどうとらえたら良いのでしょう?
これは私ごときが答えを出せません。
ただ、偉大な人も勘違いをしていると思うのでそれをあげます。
司馬遼太郎は明治を賛美し、昭和の、戦前の十数年日本人がおかしくなったと書いています。
でも、それまで1000年続いた天皇と政権の二重構造(後醍醐は除く)を排し、
仏教と神道との並立を排し(仏教が弾圧されたわけではない)、
日本人のもつバランスを欠く体制に原因はなかったのでしょうか?
明治というのは、日本を近代化させる最良の道を選んだけど、
それは理想的でもなんでもなく、打算も歪みもあったんだと。
違いますかね。
(Hatena::Diaryより転載)
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