昔の映画を観る時に
寒い日が続いています、なぜ寒いかというのを我々は大体知っています。どうして冬になるのか?理科で習いますよね。話は変わりますが、日本人で九九を言えない人は少ないと思います。そしてほとんど全員が字を読み書きできます。
今の日本で字の読み書きができないと(肉体的なハンディキャップがあってできない人は除きます)、住民票もとれないし、選挙権も行使できません。そして先の九九や文字の読み書き、社会科も理科も「義務教育」というもので学ぶ義務があります。
戦前やもっと前の時代は字の読めない(書けない)人がざらにいました。「兵隊やくざ」の大宮(勝新太郎)は文盲です。落語でも字の読めない町人はよく登場します。これは正確ではないかも知れませんが、豊臣秀吉の文章は仮名が多いものです。当時の上級社会では漢文や候文が普通だったと思います。もともと文字の読み書きの必要のない階層出身の秀吉が字はマスターしても、もっと上の素養は身につかなかったのではないでしょうか。
字が読めないとどれほど不便か、このブログを読んでいる人にはわかりません。さぞかし不便でしょう。想像すれば外国の町を歩く感覚ではないでしょうか(中東なんかもそうでしょう)。ただ我々は英語や漢字は若干でも理解するので、全く解らない場所は少ないです。北朝鮮なんかはハングルだけなのでそんな感じでしょうか。
ただ、情報が少ないということは、無駄な物も入りこまないのでその分は自由かもしれません。今なんかは字の情報は本やネットに氾濫しています。これが我々の自由度をすごく疎外しているとも思います。
わからない事に対して、一度自分なりに想像するのは実はとても大切な事ではないかと、ふと考えたのでした。
(Hatena::Diaryより転載)
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