天皇制について
女性天皇、女系天皇の問題を含む皇室典範の改正問題で、反対派と推進派の温度差が増してきました。今朝の産経新聞では、寛仁親王殿下が再度この問題で発言された内容の抜粋を載せていました。
当事者から意見が出ていて、それが反対意見なのに封じるのは危険です。寛仁親王殿下は自分のお立場がぎりぎりだと思って発言されていると思います。もっと深い当事者の方々は発言すらできないお立場なのですから。
この問題で小泉総理は当然推進派です。平沼さんが反対派の代表で、まるで郵政の再燃のようです。しかし違うのは郵政には小泉さんは真剣でした、この人のライフワークでした、死んでもいいと言ったのも本心でしょう。
でも、この皇室問題は、単なる功名心にしかみえません。
前にも書きましたが、あまり言われてなくて不思議なのはなぜ「天皇制をどうするか」が話題にならないのでしょう。数千年の歴史といいますが、明治以前と以降では天皇制は変わっています。マッカーサー後も変わっています。
そんな中で、ただ続いてきたから素晴らしいではなく、もっと深い考えを国民に提案する必要があると思います。
もう一つは、時代で人の価値観や制度(憲法も法律も)変わることがあるけど、何世紀もの歴史は残るということです。あるものを壊したり、無視したり否定したりはできるけど、実は過去は消せないのです。
そんなこと思います。新聞に識者が書いていること、政治家の考え、どれも陳腐すぎます。
(Hatena::Diaryより転載)
ディスカッション
コメント一覧
ちきりんはこの問題、よくわからないのですよね~。例えば江戸時代など侍が実権を握っていた時代には、天皇制の存在意義がすごく小さかったと思います。それが明治維新で一気に「必要になった」。同様に戦後からの立ち直り時期にはとても重要だったけど、今はあまり皆が必要性を感じてないと思います。そういう波があることを考えると、「将来、天皇制が存在意義を持つ時とは、どんな時なのさ?」ってのを考えて、あるべき論を考えないといけないのかな~とも思います。まあ・・・よくわかってないんですが・・
その通りだと思います。「権威付け」はともすれば「免罪符」かもしれません。
だから今後天皇の存在が是非とも必要になるのは、この国体が危うくなる時です、それが内からか外からかはわからないし、何年後か何百年後に来るのかわからないけど、その混乱の時に頼ろうとした天皇家が平成のある時期から伝統を捨てたものになっていたら、別な人間を擁立することも可能になるし、無視することも可能になるのではないかなと思うのです。
曲がりなりにも「万世一系」という無比を「他でも可能」にしてしまう危惧は、未来につけを残すのです。