真剣に消費をする時代(2)
旧 4月5日 友引
3月20日にこんなことを書きました。
真剣に消費をする時代 – たけいちろうの日記
最近、経済学者と経営コンサルタントの記事で下記のようなものがありました。
まずは、森永卓郎氏
年収崩壊、庶民の生き残り策を考える – SAFETY JAPAN
(小麦が上がり)パンが高いから米を食べよう、これは賛成です。でもいつのまにか「炊くのが面倒ならサトウのごはん」となっています。ご飯を炊く経済性を訴えるべきです。
カップヌードルとスープヌードルを比較するあたりも怪しいです。確かにスープヌードルが安く、それで済むなら良いのですが、これは嗜好、個人差の問題です。
冷食も昨今、値下げが激しく経済的かもしれませんが、冷食を重宝した結果がああいう事になったのを根底に考えるべきでしょう。
彼の意見では、あるべき食生活が存在せず、今はこれがおとくだよ!しか聞こえません。
もっとも、この人の意見は常にこんな刹那的なのです。
次は鈴木貴博氏
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/127/
(2015年1月現在 リンク切れ)
この人は僕の意見に近いです、でも例えに出しているのが「化学調味料」はどうかと思います。
それとこの人は、品質(機能)で選ぶ、ブランドで選ぶことを考え方の違いとしています。尚、暗示的に前者を男性的、後者を女性的としています。
私は、機能、品質とブランドを計りながら選択するのが消費の本質であると思います。
友人に聞いたのですが、G社という有名なブランドのある種類のギターは日本で数社がOEM生産を請け負っているのですが、特にこれが良いというFという造り手があるそうです。
それを買えば当たりってわけですが、そういう情報を知っているのといないのとでは、使う上でまったく違うと思います。
ただし楽器なので、使い手の腕がその違いを評価できなければ知識も選別も意味を持たなくなるのですがね。
(この辺は私も楽器の持ち腐れが多く、書きながら辛いところ)
真剣に消費をするっていうのは、経済学者なんかが聞きかじりや、自分の幼稚な消費活動を披露して啓蒙できるもんじゃなくって、庶民が、少しプロに近い目で見られるようになってゆくことだと私は考えます。
(Hatena::Diaryより転載)
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