母親の病気、死生観〜続き〜
1年9月ぶりのブログです、引きこもっていて時間がありますので少し更新していこうと思います。今日のエントリーは随分前の前回で〜※続きます〜と書いた内容です。
実は母は今年の1月20日に亡くなりました。昨年の12月29日に入院していましたがそのまま逝ってしまいました。死因は肝硬変。
前回書いたように2018年に病院に呼び出しを受けました、その時に説明されたのは「肝臓にピンポン玉程度のガンがある、ただ肝硬変にもなっているので手術は不可能、進行は遅いと思うので共存していきましょう」みたいな内容でした。母も同席して聞きました。
その後実家に帰るたびに「病院行ってる?どうなの?」って聞くと母は「行ってる」って答えるのですが父親の話によると今回の入院まで一回も通院しなかったようです。それでもそこそこ元気で、一度は僕が夜ワインを飲んでいたら私にもって2杯も3杯も飲んで「平気なの?」って思ったこともありました。
父が昨年数えで米寿になりましたので、秋に両親、妹、姪っ子などと食事会をしました、集合したのはそれが最後になってしまいました。年寄りだからあまり食べないっていうのに妹が焼き肉がいいって決めちゃっって、案の定そんなには食べませんでしたがまあ思い出になってます。
入院後はベッドからほぼ出られずでした、肝臓が機能しないので水分が腹水となってお腹がぱんぱん、その結果食欲も減って体力も落ちる。急に抜くのも体によくないらしく難しい状態だなって。
先生から説明を受けたのは、「重度の肝硬変と肝細胞ガンではっきり言って手の施しようがない、治療ができない」ということでした。これは母は聞いていません。少し経ったら緩和ケア病院に移りましょうということで病院の紹介を受けていた矢先旅立ってしまいました。
はじめのうちは見舞いに行くと、「伝染るから(伝染るわけない)」「疲れちゃうだろうから」「忙しいでしょう」とかで帰っていいよって言っていましたが、最後の数日は父や妹が帰ろうとすると「まだ帰るな」って引き止められていたそうです、死期を悟ったのでしょうか。僕はこの時期東京の用事が重なって行けていないんです、最後まで親不孝だな〜。
四十九日が過ぎまして、納骨は稲毛の納骨堂を契約する予定です。こんな騒ぎで僕も千葉に行くことがままならずそちらの話もすすみません。困ったものです。
調布の家には仏壇がありませんので母の若い頃の写真を遺影にして毎日線香を立ててます。ちなみに、父はこの写真はあまり好みでないそうです。
Martes,siete de abril de 2020
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