将来は思い出をどうやって語りあうのだろう
昨日は帰宅時間に京王線が止まってしまって迂回して帰りました。一昨日は小田急の窓から飛び出した人がいたそうで、なんか続いてます。
- 13:20渋谷発の井の頭線、各駅停車に乗る
- 下北沢に着いた頃、18:21に千歳烏山で人身事故があり京王線が止まっているとアナウンス
- 明大前に着く前に再開は19:30頃と京王のメールサービスで知る
- 明大前で時間を潰すか、振替か迷ったけど、吉祥寺から帰る事に決める
- 振替バス券2枚もらい、バスを乗り継いで帰宅
いつもより30分くらいの遅れで家に着きました。運転再開は結果的に20時頃になったらしいので明大前で待ってたらストレスでした。
さて、ちょっと思い立って昔の写真をスキャンして写ってた友人にFBで見せたりしています。自分が20代前半だったりのものもあり、懐かしがってくれてこちらも楽しく感じます。行った先がどこだったか、一緒に写ってるのが誰だったか細かい記憶が曖昧になってたりして。約30年って時間はなかなか長いものです。
現在はイベントがあるとSNSにぱっぱと写真とコメントアップできるし、ブログに書くこともできる。なによりデジカメだから銀塩の写真より保存や閲覧が楽。
さあこれが時間が経つと果たしてどうなるのでしょう?周りの人間の多くがインターネット始めた頃(2000年前後かな)にはメーリングリストなんかはやって夢中でやってたけど、見返すこともないし。ウェブではもっぱら掲示板でこれはこれで楽しかったのだけど振り返ることもないですね。
ネットにアップするデーターはタイムリーでコンテンツも充実してるけど、昔の一枚の写真のような重みがないのかもしれませんね。今の20代の子たちが50歳ぐらいに鳴った頃、何を見ながら思い出を語り合うのかって、ふと感じました。
Sabado,veinticinco de enero 2014
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