満鉄 あじあ
「歴史街道」という雑誌の今月号で、満州の特集をやっている。
(現在は常用漢字で表記するがかつては「満洲」と表記した)
日本人が、どのような目的で、どのように満州国を建国し経営したか。
満鉄(南満州鉄道)に「あじあ」という特急があった。
「大連-新京」間を704kmを8時間30分で結んだ。
大連は日本海側で日本の博多から向かう満州の基点であり、新京は満州国の首都である。
「あじあ」は昭和9年に運行が開始されているが、
全車両冷暖房付き、一等車はパノラマ展望台、一等と二等は回転可能座席。
食堂車ではロシア人女性が給仕をするというとても豪華な急行だ。
パシナという蒸気機関車が牽引し、最高速度120km/h、連京間の平均速度は82.5km/hである。
新幹線を知っている現代人には低い数字に感じるかも知れないが、戦前の蒸気機関車だ。世界の中でも最高水準だったらしい。
線路は広軌(標準軌)を採用している。
内地の国鉄では何度か改軌論争(狭軌、1067mmから標準軌、1435mmに軌道を変え、輸送力を向上させる)があったが、実現は新幹線までかかっている。
満州には広大な土地があり、新天地で広軌の最高性能車を作ることができたわけだ。
この、「あじあ」のことは20年程前に初めて本で読んだのだが、最初は信じられなかった。
子供の頃から、戦前っていうと暗く、悪い国であったというイメージしかなく、技術も、経済力も欧米に大きく遅れをとっていたと思っていた。
今考えてみれば、この事を知ったあたりから自分の「戦前の肯定」が生まれていたのかも知れない。
現代の日本は豊かである、日本は1968年以降、アメリカ合衆国に次ぐ世界第二位の経済大国だ。
昭和の初期の日本は、米・露・独・仏・伊に次ぐ程度の経済力である、列強に顔を並べる存在にはなったものの、今に比べれば小さい。
そんな中、台湾や満州に多大な投資をして、米国には遠く及ばないもののかなりの軍事予算を使っている。
それが、悪い方向にいってしまったことも多々あるが、その覇気には見習うものがあると思う。
負の歴史を強調し、否定することはどうなんだろう。
時代や、懸命に生きていた人に罪はないと思うのだが?
(mixi日記から転載)
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